たたかいの人類史    2009
撮影:丸山常生
写真画像 インク 紙 プラスチックシート 糸 他
人類史の帯:L.2000cm, H.30cm, 展示直径.600 cm、サイズ可変
福島県立博物館/会津若松、福島
[はじめる視点 −岡本太郎の博物館/博物館から覚醒するアーティストたちー]
〜博物館の常設展示物と現代アートのコラボレーション〜
古代から現代までの人類史を、戦闘という側面から眺めてみる。この人為淘汰は、名誉や征服への欲から生命維持の欲まで、様々な欲望の凝縮であり、人間の性(さが)が浮かび上がる。戦いのシーンが連なる人類史を眺めると、人間とは何だろうという感慨に思い至る。
常設のジオラマ「阿津賀志山の合戦」を、自作である人類史の奔流から飛び出すフラッシュとして関連させ、滅ぼされた奥州藤原氏の理想と夢にも照射する。すばらしい理念が政治的思惑や差別によって阻まれる不運は、世界中いつの時代にも繰り返されてきた。藤原氏が掲げた平和への理念と平泉文化も、頼朝の征服欲の前に消失した。歴史に埋もれた史実には、この例と同様にそれぞれの物語と意義があるに違いない。

(手前が常設のジオラマ「阿津賀志山の合戦」。左から攻めるのが源氏軍、右は応戦する藤原軍。
 背景の空に掛かる「供養願文」は、丸山が作品のひとつとして掲示。)


      ・・・・・
初代藤原清衡による中尊寺建立のための供養願文・・・・・

この鐘の音は、世界のあらゆるところに分けへだてなく響き渡り、苦しみを抜き去り安楽を与え、生きるすべてのものに、あまねく平等に響くのです。
奥州の地では、都から攻めてきた官軍も守った蝦夷も、度重なる戦いで、古来より多くの者の命が失われました。人だけではなく、けものや鳥、魚や具も、数限りなく殺されてきました。それらの霊魂はみなあの世に移り去ったけれど、朽ちた骨は塵となって、今なおこの世をさまよっています。
この鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われたものたちの霊が、安らかな浄土に導かれますように。 

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

平泉藤原氏は、阿津賀志山の合戦によって源頼朝に滅ぼされるまでの約百年間、平泉を中心とする東北地方一帯を統治し、京風の仏教文化を開花させた。頼朝の理不尽な征討を受けて、やむなく戦わなければならなかった奥州藤原氏終焉の合戦ジオラマと、平和を祈願したこの文とが、矛盾と苦さを含んで響き合う。そして供養願文の前には、時代がめぐり現代に至っても戦いの止むことにない人類史…。
人類史の帯は、左側の「古代」の部屋から入って、この「中世」の部屋で渦巻き、右の「近世」へ向かう。
人類史の画像(古代から現代までの一部を紹介)
スタート
阿津賀志山の合戦
最後尾
左:
坂上田村麻呂の蝦夷征討の様子。「蝦夷」は「えみし」と読み、古代東北に住んでいた人々への蔑称らしい。敗者側の記録は消滅し、歴史は勝者側によって記される。たとえ東北に独自の文化があっても。日本の“中央”の大和朝廷の視点で記録された現地の人々は鬼の姿をして、狩りのように殺されている。
岩手県和賀町の秋祭りに鬼の面をつけて舞う鬼剣舞では、悲劇の蝦夷を思い、鬼の面には角がないらしい。

下:
阿津賀志山の合戦で応戦する藤原軍。
源頼朝は、先祖源氏のように東北の支配を望み、かつて祖父将軍頼義が東北で勝利した「前九年合戦」を周到に再現した。全国の武士達を総動員して先祖意識を共有し、主従関係を再確認するという政治的な意図で、この戦いを強行したという。
いつかテーマとして取り組みたいと思っていた、自分のふるさと東北と東北人であること。今回、一歩を踏み出せた。作品のために調べるなかで、これまで知っていた歴史は、“中央”から勝者が記した歴史であることを痛感。“辺境”と思われている場や人々の視点を知ることによって、歴史のなかに人間のありようがみえる。
上図は「人類史」の最後尾の部分。これから記される“未来”の空白に向かって、素手で投石する少年がいる。


この展と同時期に参加した野外展[トロールの森2009]は、藤原氏を滅ぼして関東に凱旋した源頼朝軍が、弓で地面を突いて渇きをいやす湧き水を求めたという伝説の場所が会場だった。因縁の両者に同時に関わるという奇遇に、ぐいぐい惹き込まれた秋だった。
作品「渇き −水と征服を求めてー」の詳細は>>こちら
Copyright (c) MARUYAMA Yoshiko, All rights reserved.