たたかいの人類史
古代から現代までの人類史を、戦闘という側面から眺めてみる。この人為淘汰は様々な欲望の凝縮であり、人間の性(さが)が浮かび上がる。今もなお戦いの止まない人類史…人間とは何なのだろう。
会場である福島県立博物館の常設展示物ジオラマ「阿津賀志山(あつかしやま)の合戦」を、丸山は、自作の“人類史の奔流”の長い帯から飛び出す“一場面”として、互いに関連させる。東北地方に平和な仏都と平泉文化を築いた奥州藤原氏は、征服欲でこの戦いを仕掛けた源頼朝によって滅亡する。
すばらしい理念が政治的思惑や差別によって阻まれる不運は、世界中いつの時代にも繰り返され、歴史は戦いの勝者側を中心に記される。しかし、この作品で照射した例のように、敗者側の埋もれた史実にも、人間性を見せる物語と意義があるに違いない。
・・・・・初代藤原清衡による中尊寺建立のための供養願文・・・・・
この鐘の音は、世界のあらゆるところに分けへだてなく響き渡り、苦しみを抜き去り安楽を与え、生きるすべてのものに、あまねく平等に響くのです。 奥州の地では、都から攻めてきた官軍も守った蝦夷も、度重なる戦いで、古来より多くの者の命が失われました。人だけではなく、けものや鳥、魚や貝も、数限りなく殺されてきました。それらの霊魂はみなあの世に移り去ったけれど、朽ちた骨は塵となって、今なおこの世をさまよっています。 この鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われたものたちの霊が、安らかな浄土に導かれますように。
(ジオラマの背景写真の空部分に掲示)
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平泉藤原氏は、阿津賀志山の合戦によって源頼朝に滅ぼされるまでの約百年間、平泉を中心とする東北地方一帯を統治し、京風の仏教文化を開花させた。頼朝の理不尽な征討を受けて、やむなく応戦した奥州藤原氏終焉の合戦ジオラマと、平和を祈願したこの供養願文とが、矛盾と苦さを含んで響き合う。そして供養願文の前には、時代がめぐり現代に至ってもなお戦い続ける人類史の帯が流れる。 「人類史」の最後尾の部分には、これから記される“未来”の空白に向かって、素手で投石する少年がいる。
いつかテーマとして取り組みたいと思っていた、自分のふるさと東北と東北人であること。今回、一歩を踏み出せた。 この展と同時期に参加した野外展[トロールの森2009]は、藤原氏を滅ぼして関東に凱旋した源頼朝軍が、弓で地面を突いて渇きをいやす湧き水を求めたという伝説の場所が会場だった。因縁の両者に同時に関わるという奇遇に、双方向から史実と人間をみつめ、作品化した。
作品「渇き -水と征服を求めてー」の詳細は>>こちら