等しく生を享けて
バルト海に突き出した砂丘にある町、ニダの環境情報ー砂丘・森・海ーを手掛かりに、砂丘での作品をプランして行ったが、現地に着いてみて初めて知る制作条件によって、プラン変更が必要となる。その地の空気を吸うように、その環境に添ってみる。ニダの滞在は、この国際シンポジウムの企画者が意図した“ジャズライブのように”という、感性が感受するものを見つめるのにふさわしい機会となった。そんなわけで、ある形態を成す予定のマテリアルを、シンプルにそのまま使用することにする。
あらかじめ準備して行ったマテリアルは15×12cm程の布片を樹脂で板状に固めたものに、報道写真から抜き出した人や、私自身が国内外でカメラを向けた人の肖像が転写してある。私が肖像に選んだ対象には、世界のニュースとして報道された、民族問題に関する出来事に巻き込まれた一般民衆、そして、旅先で私が出合い、その人の民族的背景による体験談を印象深く感じた人を選んだ。宿舎近くの森の、同時期に植えられたらしくほぼ均一に成長した樹々は、すべてが等しい命の象徴として私の目に映った。その一本一本の根元に、報道された肖像と私的な出会いによる肖像を、ひとつずつ同じように置いてみる。
民族紛争でいがみ合ったり故国を追われたり、といった報道は「対岸の火事」として傍観できることとは思えない。なぜなら、私がこれまでに出会った人々の体験と大差ないからだ。現に、この地リトアニアでも多くの命が理不尽に踏みにじられてきたのだから。天に向かって真直ぐに伸びる樹々に肖像を添わせることは、苦悩の、ほほえみの、泣き顔の、すべての肖像に平穏な命の時間を取り戻す、供養のように思えた。